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広島家庭裁判所 昭和62年(家)350号 審判

申立人 鈴木信芳 外1名

相手方 鈴木正芳

参加人 加川公子

主文

相手方は、申立人両名に対し、それぞれ

金795,000円を平成2年9月末日限り

金45万円を平成2年12月末日限り

及び平成2年9月から毎月末日限り金35,000円宛支払え。

理由

(申立ての要旨)

相手方は、申立人らの長男で、参加人は長女である。

申立人鈴木信芳(以下「申立人信芳」という)は脳卒中で倒れて以来病床にあり、収入は厚生年金だけである。また申立人鈴木富子(以下「申立人富子」という)は、老齢でしかも病気勝ちであり、夫信芳の看病に付ききりで無収入である。他方、相手方は、広島市内に立派な病院を構える開業医(内科)で、高額の収入を得ている。

よって申立人らは、相手方に対し相当額の扶養料の支払いを求める。

(当裁判所の判断)

1  本件記録によれば、次の事実が認められる。

(1)  本件紛争の背景

〈1〉 申立人信芳は、○○大学を卒業後、○○石油に勤務し、昭和15年4月5日申立人富子と婚姻し、同女との間に相手方である長男正芳(昭和16年10月7日生)と参加人である長女公子(昭和18年9月7日生)をもうけた。その後、名古屋から札幌へと転勤になり、相手方を医大に入れるため、塾にやったり家庭教師をつけたりして、昭和36年○○医大に入学させた。翌昭和37年、申立人信芳は、大阪に転勤となり、単身赴任を強いられた(妻富子は下松、公子は東京)が、給料のなかから、その3分の1に近い2万数千円(当時の大学卒の初任給よりはるかに高額)を月々送金し(授業料は別)、医学教育を受けさせた。

〈2〉 相手方は、小、中学生時代を名古屋で過ごし、中学3年のときに父の転勤に伴い札幌に転居し、昭和42年○○医大を卒業し、昭和43年4月から○○大学の医局に勤務し、昭和51年山口県の○○病院に半年勤めた後、昭和52年から現住所で内科医院を開業して現在に至っている。

〈3〉 相手方は、開業以来毎月5万円を扶養料として申立人らに渡していたが、申立人信芳がその唯一の財産である山口県下松市大字○○○××××番所在の宅地406.61平方メートル(以下「本件土地」という)につき、妹の公子に昭和55年10月23日付で所有名義を変えていることを聞知し、それについて申立人らに釈明を求めたが、はっきりした返事が貰えなかったため、昭和58年7月以降送金を止めてしまった。

〈4〉 そこで申立人らは、相手方に対し、大学教育まで受けさせてもらい、現在医者として高額の収入があるのであるから、高齢かつ無収入で病気のある申立人夫婦を金銭的に扶養するのは相手方の当然の義務であるとして、当庁に扶養の調停を申立てた(昭和59年(家イ)第807、808号)。

〈5〉 上記調停において、申立人らは、本件土地は長女公子に贈与したものであるが、それは昭和41年秋、同女が加川享と結婚する際、着物以外に何も持たせてやれなかったので、不憫に思い、名義を変えてやったもので、このことは当時○○医大に通っていた相手方にも話してあり、今になって本件土地のことを持ち出すのは、扶養したくないからであると主張した。

〈6〉 これに対し相手方は、昭和46年2月俊子と結婚する際、申立人らの反対を押し切って結婚したことで疎遠となり、その後は出生した4人の子供を含め、殆んど申立人らと行き来がなく今日に至っていることが背景にあると考えており、本件土地は時価3000万円をくだらないが、これがあれば申立人らも、その運用により生活に事欠かないはずであるのに、あえて本件土地を公子に譲ったのであるから、申立人らが今日の状況に立ち至ったのは自業自得というべく、参加人が申立人らの世話をするのは当然であり、自分の方に扶養するよう求めるのは筋違いであると主張し、結局、本調停は不成立に終わった。

(2)  申立人らの生活状態

〈1〉 申立人信芳は、昭和57年ころ脳梗塞で倒れ、以後左片麻痺のために自宅療養中であるが、俊敏な運動動作は不可能で、普段はベットに寝ているが、ときに鍼やマッサージ、眼科に通院しており、長女公子(46歳)の夫加川享(山口県玖珂郡○○町で○○医院を開業する医師)から定期的に脳硬塞と風邪の薬を貰っており、リハビリテーションの必要がある。申立人富子は、以前から関節、筋肉リューマチが続いており、最近では狭心症等に罹り、通院加療中の身であるが、次第に夫の世話や身の回りの家事が負担になってきており、平成元年3月の時点で、1日おきに買物を他人に頼む他、週1回の割り合いで掃除、洗濯を依頼(謝札1回5,000円)している。

〈2〉 申立人らは、現在、加川享の所有する表記住所地のマンションに住んでおり、家賃(8万円)は負担していない。

申立人らの資産は特になく、月々の収入として申立人信芳の厚生年金が14万円と富子の老齢年金が1万円あるのみである。

〈3〉 申立人らの1か月の必要な平均生活費は、申立人らの計上したものに、人事院が平成元年4月の調査(総務庁)に基づき算出した全国における費目別、世帯人員別標準生計費(人事院月報468号)とを総合すると、次のとおりである。

イ) 食料費              60,000円

ロ) 住居関係費(家賃8万円を含む) 140,000円

(管理費のほか光熱・水道その他)

ハ) 被服、履物費           20,000円

ニ) 雑費(リハビリなど医療関係)   41,000円

ホ) 雑費(その他)          50,000円

ヘ) 家政婦の費用           40,000円

(申立人らは、今や少なくとも週2回の家政婦の援助を必要とする段階に至っているものと認められる)

合計  351,000円

以上の生活費に申立人らの収入15万円を当てると、不足分は201,000円となる。

(3) 相手方の生活状態

〈1〉  相手方は、妻俊子(42歳)との間に、長女(18歳)、次女(17歳)長男(14歳)、次男(9歳)があり、上記(1)、〈2〉認定のとおり、内科医として稼働しており、昭和61年度の所得総額は金3431万余円(納税総額金1340万余円、各種保険費用761万余円を含む)であり、また同62年度の納税額が15,322,000円であることからしても、かなり安定した高額所得者である。

〈2〉  相手方の昭和62年当時の月平均の必要生計費は35万円(家賃は計上していない)を下らず、〈1〉の所得総額から税金その他を控除した残額1330万円(約月110万円)との比は約3分の1であり、この比はその後の収入の伸び、子供達の成長に伴っての教育費等の経費の増加などを考慮しても、現在も大きな差はないものと認められる。

(4) 参加人加川公子の援助

〈1〉  参加人は、特別養護老人ホーム「○○苑」の園長であり、またそのホームの世話団体である社会福祉法人「○○福祉会」の業務を担当し、月収24ないし25万円を得ており、申立人夫婦の居住するマンションの家賃として月額8万円を管理人宛に毎月送金している外、電話代、光熱費の名目で月額5万円を申立人らに送金しており、月2、3回程度見舞っている。

〈2〉  参加人は、申立人夫婦と相手方との対立は十数年らいの確執からきており容易には和解の糸口は見出せないだろうとみており、本件土地を取得するに至った経過はともかく、相手方が本件土地と扶養義務を絡ませることに反対しており、長男としてその義務を果たすべきで、自分が申立人らに援助していることで相手方がこれを免れるというのであれば、援助を止めたい意向である。

2 申立人らの扶養必要性と相手方の扶養義務

(1)  先にみたとおり、申立人らの生活費が201,000円不足していることは明らかである。確かに、この生活程度は、特別経費である家政婦の費用を控除して、人事院の出した2人世帯の標準生計費163,910円と比較してみると、かなり高額である。しかし、マンションの家賃及び管理費が約10万円で大きな比重を占めており、現にこれは参加人において負担しているので、この住居関係費を除いて比較すると、多きに過ぎるとはいえない。

(2)  そこで先ず、高額の収入を得ている成熟子は、老父母に対し、同人らの人事院統計資料による標準生計費をかなり上回る額の生活水準を維持するため、これを扶養する義務があるかについて検討する。

老父母に対する成熟子の扶養義務は、夫婦間及び未成熟子に対する扶養義務と異なり、生活扶助義務であるとされる(大阪高裁昭和49.6.19家裁月報27.4.61参照)。しかしながら、老親扶養は、過去における養育(単に成年に達するまでのそれだけでなく、その後も社会的に独立するまでの間の養育も含む)の事実、相続権の有無、扶養義務者と扶養請求者とのこれまでの交渉の程度などの点を考慮すると、他の一般の親族扶養の場合と比較して、扶養の程度はやや異なり、生活保持義務的な配慮をすることも許されると考える。

(もっとも、その場合でも、扶養当事者内の格差を是正するためのものではないから、扶養義務者と同程度の生活を求めることはできない。)

本件についてみるに、相手方は、医学教育を受けさせてもらい、これにより医師としてそれなりの社会的地位について活躍しており、通常かかる生計費の3倍を近い収入を得ているのであるから、他に特別の事情のない限り、扶養権利者の生活が、標準生計費により算出した生活費を越えている場合(倍額が限度であろう)においても、扶養義務があるとみるのが相当である。

(3)  次に、特別の事情の存否について検討する。

本件記録によれば、申立人信芳は、昭和41年秋ころ、参加人公子が結婚する際、同人に充分な支度をしてやれなかったことから、本件土地を同人に贈与したものであること、しかし、名義の変更は費用その他の事情があって昭和55年まで延びたこと、申立人夫婦は、相手方が昭和46年2月俊子と結婚したころから何かと意思の疎通を欠き、その後も孫子との交流(但し、相手方の送金の点は除く)は、ほとんどなかったことが認められる。

上記認定の事実によれば、本件土地の譲渡は20数年前のことであり、申立人らが、そのことを当時学生であった相手方に話したかどうかはともかく、相手方が結婚する前のことであるから、親子の関係は悪くなく、相手方のいうように必ずしも爾後の世話を参加人に託すために譲渡したものと断定することはできない。確かに、現在も本件土地が申立人信芳のものであれば、かなりの評価の物件であるから、その運用によって生計をたてることは可能であろうが、だからといって申立人らが現在のような生活状況にあることについて、先のような事情による20数年前の譲渡をもって、これを申立人らの過失であるということはできない。

しかし、先にみたとおり、成熟子の老親に対する扶養が、他の親族間の扶養と異なる根拠の一つが義務者の相続権にあることに鑑みると、当時申立人信芳が働き盛りにあったとはいえ、唯一の不動産をそっくり参加人公子に譲渡してしまったことについては、やや軽率であったものはいわねばならず、相手方の不満もまたここにあったことは理解できるのであって、扶養の程度を決めるにあたって考慮さるべきである。

最後に、申立人らと相手方との間に、いわゆる普通の親子の交流がなかった点について見るに、当初申立人らが相手方と俊子との結婚を快く思っていなかったとは窺えるものの、申立人信芳が孫の名付親になったともいい、また逆に相手方が母親に暴力を加えたともいい、結局、両者間の不和の原因は断片的で、どちらに非があるのかその決め手を見出すことはできない。

(4)  相手方の負担額

以上当審判にあらわれた一切の事情を考慮すると、現時点において申立人らの生活費の不足分201,000円については、ほぼ相手方が1、参加人が2の割合でこれを分担するのが公平であり、相手方の負担は月額7万円と認めるのが相当である。(参加人は、既に応分の負担をしているので触れない。)

申立人らが本調停において相手方に対し扶養の請求をしたことの明らかな昭和59年10月以降の過去の扶養料については、物価の上昇、家政婦の要否等一切の事情を考慮して、平成元年2月までの間は月額3万円宛、合計159万円、平成元年3月から平成2年8月までの間は月額5万円宛、合計90万円及び平成2年9月から毎月7万円宛、毎月末日限り、申立人らに対し支払う義務があるものといわねばならない。なお、過去の確定額については、分割払いとし、159万円につき平成2年9月末日限り、90万円につき同年12月末日限り支払うものとする。

3 結論

申立人らは、上記1、(2)、〈2〉のとおり、収入が異なるが、同人らは、相互に生活保持義務の関係に立つものであって、その扶養必要性は一体として検討したが、相手方に対する関係では各扶養権利者の請求権として構成すべく、先の認定額の各2分の1を申立人各自の認容額とする。

よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 松本昭彦)

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